はじめまして!かさまりこと笠井麻梨子です。
2016年9月にバイヤーとしての活動を始めて、現在1年とちょっと経とうとしています。
今までにこんなに情熱を持って苦しんだりワクワクしたり嬉しかったりする日々を過ごしたことはなかったかもしれません。
それくらい激動の1年でした。
この記事では、【のほほん駐妻がアメリカ出産後にネットビジネスと始めた理由!】について3回に分けて書いていきたいと思いますので、アメリカに住んでいて何かしたい・・・出産後に外では働けないけどなんとか在宅で稼ぎたい!そう思っている方に読んでいただけたら幸いです♪
Contents
1.半鬱状態からの脱出〜アメリカ駐在が決定!〜
遡ること2014年6月。私は猛烈に疲れていました。
2012年に出産、2013年春になんとか認可保育園に入り、フルタイムで仕事復帰をしました。
もともといた会社はベンチャー企業。
・1ヶ月休暇あり
・会社に犬がいる
・お弁当が支給される
・フレックスタイム
なんていう、ベンチャーっぽさがあって、でももちろんお給料もベンチャーらしく年俸制でした。
出産前までは、仕事が大好きでしたので、夜の10時まで働いて、旦那さんと外で待ち合わせて外食、帰って寝て、4時半に起きてまた仕事の生活。
側から見ると「なんでそんなに働くの??」という感じだったかもしれませんが、私はそれが楽しかったのです。
もちろんそれだけ働いているから、会社の中での評判も上々。「犬もおだてりゃ木に登る」的に、おだてられて褒められてどんどん調子に乗って責任ある仕事もどんどん引き受けてやっていました。
自分さえ頑張ればいい、自分が楽しければいい、今日が楽しければいい。
思えば、そんな気持ちで毎日過ごしていたと思います。
ところが。
結婚式を終えて半年で妊娠が発覚しました。
実は中学生の時からものすごい生理不順と生理痛に悩まされ、20歳の時にこっそり産婦人科に行きました。
その時に診断されたのが、
「多嚢胞性卵巣症候群」。
妊娠を望む女性でしたら知っているかもしれませんが、不妊症の結構代表的な病気の一つです。
大学生の時に子供ができにくいかもしれないと診断された私は、子供は大好きだけれど、できないかもしれない、だからできなくてもずっと好きで入られそうな旦那さんを探そう、そして子供がいなくても大丈夫だと言ってくれる人を探そう、そう思って今の旦那さんと結婚しました。
本当に贅沢な話なのですが、そんなふうに考えていたので、妊娠は私の中で思っていたよりもずっと早く来た出来事だったのです。
「この子を大切にしなくてはならない!」
「でも自分のキャリアも中断したくない!」
その葛藤に妊娠期間中ずっと悩まされました。
そして出産後。
世界がひっくり返るとはこのことです。
世界の中心が今まで圧倒的に自分だったのが、いきなり赤ちゃんが割り込んで来て、ぐるぐると自分の世界を回し始める感覚でした。
愛おしい。可愛い。大好きすぎる。
この子のためなら命を投げ出せる。
そういう感覚と、
私の時間を取らないで。
なんで苦手な家事をこんな四六時中やらないといけないの。
なんでこんなに洗濯物が増えて、家が散らかっていくの。
仕事はいつ復帰できるの。
そんな想いのせめぎ合いでした。
さらに辛かったのは復帰後です。
ちょっと前に書いたように、私は計算してみると1日に18時間以上働いていました。
それが、容赦無く保育園の時間で区切られるようになる。
今まで家に持ち帰ってやっていた仕事は授乳と夜泣きとお世話で中断される。
もともときちんと集中しないと仕事はできない性格なので、
とにかく中断されると何もできない。
もちろん個人の業績はガタ落ちです。
「笠井ってこんなやつだと思わなかったんだけどな・・・」
取締役にこう呟かれた日、私の中で何かが崩壊しました。
「ああ、なんて私はできないんだろう。育児も仕事も中途半端でなんてダメ人間なんだ」
そう思いました。
こう思い始めると、もう止まりません。
負のループですね。
その負のループに陥って、会社にもいきたくなくなり、夜泣きを心からうるさく感じるようになり・・・今思うと性格最悪ー!っていう感じだったと思います。
アアアアーーーーーどうしようーーーもう何もかもやだ〜〜〜!
となっていた、その時。
旦那さんから一本の電話がありました。
「9月からアメリカになった。」
もう神様からの電話かと思いました。
「これで全てから逃れられる〜〜〜」
そう思って、もちろん一緒に渡米することにしたのです。
かさまりがアメリカで稼ぐことになったBUYMAについて、少し勉強してみようかな!と思われたらこちら!
2.アメリカでの初めての専業主婦生活
〜お金がない!!!〜
ちょっと暗い話になりましたね笑
でも、そんなクラーーーイ気持ちで広い広いアメリカに来たので、
その開放感たるや!
旦那さんの最初の赴任先はワシントンD.C.。首都ですね。
こういうとわかりやすいからそう言っていますが、本当はバージニアという片田舎です。
田舎ですが、比較的新しい街で色々と整備されていて過ごしやすい場所で、
日本人もあまりいませんでしたが、英語にそんなに不自由のない私には
とても住みやすい街でした。
最初の衝撃は、
「ブランド品がアホみたいに安い!!!」
今まで興味すらなかったコーチやケイトスペードといったお店についつい吸い込まれて入ってしまうくらいの安さ。
最初に買った、限定もののコーチのトートバッグは定価が6万円、買った値段が15000円ほど。
それまで昔の彼氏に買ってもらったコーチのバッグを8年くらい大切にイベントの時だけ使っていたのはなんだったんだろう・・・。
それでも、アメリカ、特に田舎であるバージニアはほとんどおしゃれする必要がありません。みんなだいたいジャージでそのへん歩いてます。
なので、ブランドものの必要性も感じず、どちらかといえばハイキング用のリュックサックが常に自分のお供で、財布も軽さ重視。とにかく2歳になった息子を追いかけやすい格好を、というのが毎日のテーマでしたので、その時はコーチのバッグを一つ買っておしまいでした。
その後も何かにつけてアウトレットやモールにはいきましたが、買うものは大抵息子の洋服。マイナス20度近くまでなる日もある冬に備えての防寒具。
そんなもので、「あーなんでここにはユニクロないんだろう?一番着やすいのに」
と思っていたくらい、ブランドものとは縁遠い生活をしていました。
なぜなら・・・それは今までは私と旦那さんの稼ぎがあったのに、駐在同行したから、収入が旦那さんのものだけになってしまったから!
そもそもそこまで興味もなかったのですが、2014年当時はものすごい円安が始まった時期で、107円だった為替がいきなり130円にまで上がった時でした。
旦那さんのお給料はいろんな事情で円払い。
つまり、自動的になぜか給料が2割以上カットされた状態になって入ってくるという異常事態でした。
しかも、バージニアは田舎とはいえ、首都に近いところ。アメリカ全土からすると、物価は安くありません。
意外かもしれませんが、アメリカは手のかかるものに関しては実は物価が高いのです。
工場生産などで作られたブランドものは高いけれど、果物や野菜、お肉お魚チーズなどは人の手がそれなりにかかるので高いんです。
しかも、私にとっては初めての専業主婦生活。
今まではフルタイムで働いていて、それなりにお給料ももらっていたのが、いきなりお給料がなくなって、節約もしなくてはならない。
一般的に見ればそれでもゆるい方なのは重々分かっていたのですが、その節約すらできずに、毎月1ヶ月の予算を超えて旦那さんに怒られるのはそれはそれは辛かったです。
「こ、これはなんとか自分の気をそらさなくては・・・」
そう思って決行したのが、我ながらぶっ飛んでますが笑
【妊娠してしまえ】作戦!
暇だし、息子と二人きりで出かけてなんだか買い物をしちゃうんだ。
そう思って、妊娠してしまえばなんか暇じゃなくなるかな、と今思うとなんて短絡的なんだろう・・・という発想から妊活を始めることにしたのです。
旦那さんはさすがにもう少し賢くて、日本で私がまた仕事を始めたら、前の状況を考えてもう一人は望めないかもしれないから、今のうちに作るのはアリかな、と思ったようです笑
3.娘の出産、そしてニューヨークへ
妊活を始めて1ヶ月で妊娠、そして無事に出産。
そのあとは怒涛の日々でしたが、専業主婦で子供二人を見るのはそれなりに楽しかったです。
毎日のように遊ぶママ友も数人いて、かなり幸せな日々だったと我ながら思います。
この頃には、作戦通り笑妊婦生活からの節約生活に体も慣れて、そんなにストレスなくメンネーコントロールもできるようになり、子供が二人になって旦那さんも家事などに協力的になり、息子の幼稚園も始まり。
アメリカならではのハロウィンやサンクスギビング、クリスマス、どれも満喫しました。
広い庭のある田舎の家に住んでいたので、夏はプールを出して遊んでブルーベリーを摘んで、秋には落ち葉をみんなではいて、冬はみんなで雪かきをしてカマクラや雪だるまを作って・・・側には友達もいて。
今思い出すだけでも心が暖かくなるような日々でした。
でも、そういうほんわかした幸せって、長くは続かないんですよね。
2016年2月28日。
「おい、大変だ!辞令が出た!ニューヨーク行くぞ!」
ええええええええ!
駐在という身の上なので、いつ帰るかわからない不安はいつもつきまといます。
辞令の時期になると、家の中がピリピリします。
この時もちょうど赴任から丸2年。旦那さんのポジション的にはもう帰国辞令が出てもおかしくない・・・
そんな覚悟で家で会議に出ていた旦那さんの様子を固唾をのんで見守っていたのですが、
ま、ま、まさかのニューヨーク!!!!!
というわけで、ドタバタと、ニューヨークに引っ越してきたのであります。
4.ニューヨーク辞令から私の学んだこと〜時は有限である〜
与えられた引っ越し猶予期間は1ヶ月。同じアメリカ国内とはいえ、車で6時間の距離、日本でいうと東京から愛知県くらいの距離があります。
もうドッタバタで引っ越してきたのですが、もちろん大好きな友達との別れもありました。
みんな子供がいるから、そう簡単にひょいひょいと会えるわけではない。
ちょっと憧れのあったニューヨークに住める喜びと、この居心地が良くてほんわかした幸せのあるバージニアを離れる寂しさと、両方ありました。
友達が送別会を開いてくれた時、思ったのです。
「ああ、今回はたまたまニューヨークに行けたけど、次こそはいつ日本に帰るかわからないんだ。そのことを頭に置いて生きていかないといけないな。」
と。
そう、駐在には終わりがあるんです。必ず。
日本を嫌な思いで、逃げるようにして出てきたので直視しないようにしてきましたが、いつかは戻るんだ、そんなことが実感としてこの時に出てきたのです。
そう気づいた日から、私は日本に帰る日を想像するようになりました。
「私は日本に帰ったらどこで働くんだろう」
「小さな子供抱えて、何するんだろう」
「このままなんとなく暮らしてたら、単にアメリカにしばらくいた人」
になってしまう・・・。
ニューヨーク生活が落ち着くとともに、そんな焦燥感でイライラした日々を過ごしていました。
今回はここまで。かさまりがアメリカに来ることになるまでの経緯と、さらにニューヨークに行くことになった理由をまとめました。
次回(その2)は、「なぜメルカリとBUYMA」を始めることになったか、お伝えしようと思います♪
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